1600ラウンド
(2001/12/16)


 寒くなって来た・・・え、昨日もこんな出だしだった?まあ、そんな事はこの地球の大きさに比べたら小さな問題である。気にしない気にしない。
 さて、冬はごるふをしない、という人は意外と多い。私に言わせれば、喝!である。(これはあくまで一般論です。私の周りにも何人かこういう人がいます、個人的な好みですし本当は大きなお世話ですよね。でも、そう言ってしまうと話が面白くないのであえて書いているのです。思い当たる方、どうか気を悪くしないでください。お願いします。・・・・と思わず我に返って弁解を書いておく。)

 暑い時に体をいたわる為にラウンドを避けるのは仕方が無いとは思う。心臓などに持病があったり、お年を召されている方の場合、あの世にごるふ場があるかどうかわからないわけだから、苦しい事(妻に叱られる、妻に叩かれる、妻と生活している等)ばかりのこの世ながらごるふ場があるだけましと、体に気をつけるのは全くもって正しいと思う。また、すぐに風邪を引きやすい人などが雨のラウンドを避けるのも100歩譲って認めよう。

 でも、寒いからごるふをしない、というのはごるふに対して失礼である。えーい下がれ下がれ下がれぇーい!この紋所が眼に入らぬぅかぁぁぁ!!えーい頭が高ぁーーい!!ひかえおろーう!という感じである。中には、いい若い者の癖に冬は飛ばないから嫌だとか、着膨れして上手くスウィングできないから嫌だ、という不埒な輩もいる。そういう軟弱者は、将来きっと後悔するか、自分の小ささをごるふの先人たちに笑われるが良いだろう。なぜなら、そもそもごるふとは自然との闘いであり、尚且つ、短い人生の中でごるふが出来る時間は限られているからだ。

 仮に、私が70歳まで生きると仮定しよう。残りの人生は32年間、年間50ラウンドするとして1600回しかラウンドできない。がんばって年間100ラウンド(週2回ペース)したとしても、3200回である。

 今現在、日本には2400前後のごるふ場があると云う。アメリカに至っては、その数17000近く。つまり、全世界のごるふ場を回ることはおろか、アメリカだけに限っても、さらに日本だけでも週1回のラウンドペースでは全てのコースを回ることは不可能なのだ。

 もちろん、全てのコースを回る事が目標ではないし、それが私の夢でもない(宝くじが当たったらするかもしれない)。つまり私が言いたいのは、人生は短く、ごるふの存在はあまりにも大きいという事だ。うかうかしていると、ごるふの事が何もわからないまま人生が終わってしまうのではないか、という恐怖感が私の心の奥底にあるのだろうか。だから、寒くても雨が降ってもごるふをしているのかもしれない。それもまた、ごるふだから。

 どうせごるふをするなら、その真髄である「あるがままにプレーせよ」というスピリッツに近づきたいではないか。

 えっ、「あるがまま」の意味が違う?そんな事はごるふの大きさに比べたら・・・


編者注:人生をマラソンに例えるとすれば、40前の今は折り返し地点を過ぎたあたりであろうか。
ルートは掴めた。ペース配分も上手く行っている。後は通って来た道を引き返すだけだ。
そういう安心感と引き換えに、期待感やときめき、夢、希望などはわずかになってしまった。
そういう死に向かいつつある気持ちが、1600回という数字を計算せしめた、
などとすかして書いておこう。