ごるふ業界に望む
(2001/11/4〜11/5)



  練習場へ行ってきた。ドライバーはティーを高くしてやればまあまあの当たりが出るが、やはりアイアンが良くない。どうしてもトップ目に入ってしまう。クラブが重く感じる。トップの位置がしっくり決まらない。体が回らない。ついでに頭(の中)も回らない。地道にショートアイアンをティーアップして打ち続けるしかないのか?

 さて、文化の日にごるふ文化について文句を垂れた訳だが、改善点の提案が「プレーイング4をなくす」だけでは余りにお粗末である。ほかに「お偉いさん方」に対して改善の提案をしてみよう。

 1、パブリックのごるふ場を増やす

  今の日本の現状では、改善されてきたと言ってもまだまだごるふというスポーツに対する敷居は高い。特に、競技者のいびつな偏りや金銭的な負担の高さ、ごるふ場の敷居の高さ、国内の殆どのごるふ場がメンバーコースといういびつさが、ごるふを特殊なスポーツとし門戸を狭めている要因になっている事は否めないだろう。

 これに対しては、JGAが中心となって、各団体、メーカー、ごるふ場、政界財界、自治体に働きかけ、各都道府県ごとに1-5個程度のパブリック(JGAが経営するのでなく市営、県営でも良い)ごるふ場を作り、5000円位のプレイフィーでラウンドできるようにする。もちろん、手引きカートのセルフ方式で、そこでプレーする時には基本的なルールとマナーの研修(2時間程度)を受け、認定証をもらってからしかラウンドできないようにする。教育機関も兼ねるわけだ。

 現在、ごるふ場を手放したいオーナーはゴマンといるだろうから安く買える筈である。瀟洒なクラブハウスも、キャディさんも、レストランも要らない。人件費を切り詰めれば十分ペイできるという試算もある(そういうごるふ場は国内にもある)。そもそも、ごるふをする事自体の敷居が高いから国の助成金もおりない訳で、アマチュアごるふぁーが襟をただし、多くの一般市民、子ども、若者、女性が気軽にごるふを楽しめる環境さえ作れば国民的スポーツとして必ず認知されるはずだ。競技人口が多いにも関らず、野球(特に高校野球)やサッカーよりもごるふが現在冷遇されているのは、ごく一部の限られたどちらかといえばお金持ちしかできないスポーツだという誤解(半分当たっているが)が大元にあるわけで、その根本的な問題部分を正していくのが100周年にふさわしい将来展望ではないのか?

 2、オリンピック正式競技に

 国民の認知といえばやはりこれでしょう。もちろん、JGAや国内の機関だけで決められる事ではないが、これだけメジャーでアマチュアリズムが尊重されるスポーツなのにオリンピックに種目が無いというのはスポーツ界の七不思議であろう(ちなみに残り6つの不思議は楕円形のラグビーボール、サッカー選手が相手に攻撃されてこける時なぜ両手を挙げるのか、テニスで球を打つときなぜ声を上げるのか、新庄のメジャーリーグでの活躍、女子トイレの花子さん、万里の長城である)。

 ヨーロッパ対アメリカのライダーカップでもあれだけ盛り上がるのだから、オリンピックでも絶対盛り上がると思うのだ。JGAは、内輪のパーティーなんかを一流ホテルでするお金があったら、それをサマランチ元会長に袖の下として贈るべきであろう。

 3、ジュニアの育成

 スコットランドでは大人が子供に「家にいるくらいなら外へ出てごるふでもして来なさい」と言うらしい。この恵まれた、すばらしい国よ(私も将来仕事をリタイアすればスコットランドへ言って誰かの子供になるつもりである)。また、同じスコットランドのある伝説的プレーヤーは「私は人生のすべての事柄をごるふから学んだ」と言ったとか。そう、ごるふは生き方であり、文化であり、伝統であり、学校であり、人生の縮図であり、悪女であり、そして良き教育者であるのだ。

 ところが振り返って日本ではどうだろうか。一般的には、裕福な家庭のごく限られた子供がプレーするか、父親の悲壮なスパルタ教育の果てにプロを目指し、他のもの(学校での勉強、遊び、社会勉強、一般常識)を投げ打って子供をプロに仕立てる、というパターンが多いのではないか(もちろん例外は存在するが)。そのいびつさは某N大学の有名なごるふ部での軍隊式時代錯誤教育で頂点を極める。あるいは、大学ごるふ連盟会長の「茶髪、ピアスでごるふなどけしからん」という今どき中学校の生徒指導でも言わない(事はないか)締め付けお間抜け発言を聞けば一目瞭然だ(坊主頭にしてごるふが上手くなるんだったら私はとっくにスキンヘッドにしている)。

 その結果、挨拶の時に帽子も取れない無法者、一般常識ゼロの馬鹿、人間としては三流のプロごるふぁー、ごるふの事しか知らないで成人になったつぶしのきかない阿呆ぼん、自分がごるふ界の中心にいると勘違いした二流ごるふぁー、海外へごるふ留学してそこで悪い遊びを覚えて帰るだけしかできない人間のクズ、そのくせごるふが上手かったり先輩だったり偉い人間には媚びるという下衆などが大量生産される。

 子供は親の背中を見て育つと言う。人がアドレスに入ったらじっとしている、できるだけ速やかにプレーする、人のパッティングラインを踏まない、大声を出さない、人のナイスショットには賞賛の言葉をかける、人のミスショットには沈黙で応える、調子が悪くても腐らない、調子が良くても増長しない。そして、「自らが有利になるように振舞ってはならない」。即ち、人に対する思いやり、礼儀、我慢、迷惑をかけないこと、ルールの尊重、今のごるふぁーに、いや日本人に欠けている全ての事が教えられるはずなのだ。それができていないと言う事は、今の日本の全てのごるふぁーの罪であるといっても過言ではない。

 書いていて自分でも面白くなくなってきたのでもう止めるが、つまり何が言いたいかというと、ジュニアの育成ができないと言う事は自分自身が取りも直さず真似されたら困る三流の人間(団体)ですよ、と認めているのと同義である。

 自ら襟を正し、ジュニアの育成プログラムに本腰を上げていただきたい。


編者注:こんな事を書いても何も変わらないと解っていながら、それでも書いてしまうというのが
日本のごるふ文化の腐った所であろう。誰かごるふに恩返しするような大人物はおらんのか?